折角バイトお休みなのに、昼寝をしてしまったせいで眠れません。なので、久しぶりにネタストックをば。
いくつめかは忘れました(・ω・`)
前のネタストック達は、いつか連載かシリーズにしたい予備軍。カズくんのお話は短編でその内出したいが、カカア天下はシリーズにしたい。ワンピはお蔵入りかなぁ。
小説は、四万打が少し進みました。
戦場を駆け抜ける時の感覚を、私はどう説明していいのか分からない。
あの得体の知れぬ感覚は、一体どんな感情からして成り立っているのだろうか。興奮とは違うが、高揚感は否めない。恐怖を否定するつもりが無ければ憂いがないとも言い切れぬ。喜びとは程遠く、けれどどこかで楽しさを感じてもいる。死臭を厭い血飛沫を浴び、肉片を蹴散らしながらも断末魔を聞き、死を回避する為に死を与え、血にまみれた刃を振って血を払い、自らの名を高らかに示し、死体を積み上げた回数を誉れだと嘯いて、罪の意識から逃れる為に自らの命を秤にかけ、それでも襲う自身への恐怖に大義名分を以て目隠しを施す。
挙げ連ねればキリがないが、それら全てを一緒くたにして煮込み凝縮させたものが、即ち戦の時の感覚なのだろう。
私は人を斬る。人を斬って人を殺す。
私は人を愛す。人を愛して慈しむ。
私は生きる。私は生きて戦場を駆ける。
私は、私に対してその全てを許している。私が私に許している事は少なくないが、私が私に許していない事も少なくない。
例えば死ぬこと。
例えば諦めること。
例えば裏切ること。
例えば放棄すること。
例えば、戦が仕方のない事であり、死なぬ為には殺すしかないということを知りながら、それを厭うて他の誰かに丸投げし、私自身は関与していない振りをしてしまうこと。
私はこの世界の人間ではない。私が今ここにいる事はこの世の理に反しているのかもしれない。
しかし、私は死にたくなかった。私は生きて、そして元の場所に戻りたかった。
だから私は私を保護してくれる場所へ身を寄せたのだ。そこにいる人物が、農民からの年貢で生計を立て、人を殺してその場所を守り、戦を通して名を上げると知っていながら。いや、知っていたからこそ、私は見ぬ振りをせず、この世界の地に足を着け生きていけてるのかもしれない。
同時に、その人物が、伊達政宗その人が、途方もなく優しいのだと知っているからこそ、きっと私は今も人のまま生きているのだろう。
人を殺すことに何も感じなくなってしまえば、人は人でなくなってしまうのだから。
※例によってトリップ。BASARAでは戦うヒロインが大好きです。いや、BASARAに限らず、しかもヒロインヒーロー問わずだけれども。